2015年にカリフォルニアにやって来た当初、私達一家には肉親はおろか、親戚や近しい友人は一人もいなかった。まさにまっさらな状態から人間関係を構築する必要があったわけだ。
基本的にはひとりで過ごすことが得意&好きな私であるが、さすがに異国で知り合いが1人もいないというのは心細いし、何よりも若い頃からずっと住んでみたかったアメリカという国でたくさんの友人を作れるチャンスを得たことに心が躍っていた。
「遠くの親戚よりも近くの他人」という諺もあるとおり、いざという時に頼りになるのはご近所さんだったりする。万が一、私が事故にでも遭ってしまった時でも、子供たちがアメリカで頼れる人達、場所が持てるように積極的に友人作りに励んだ。
学校、近所のスーパー、子供たちの習い事など行く先々で会う人に笑顔を振りまき、フレンドリーな態度で接して、日本ではあまりやったことのなかった自宅パーティーに多くの人を招いた。頑張った甲斐あって、多くの素晴らしい友人に恵まれたのだが、その中でも特に私達一家に寄り添ってくれたMさんとその一家には感謝の気持ちでいっぱいだ。
Mさんとは息子がこちらにきて割とすぐに習い始めたゴルフのスクールのコーチと生徒として知り合った。まだ英語をほとんど話せない息子の付き添いとして私も毎回息子のレッスンに参加する中で親しくなったのだが、Mさんからはゴルフのことだけでなく、アメリカで私が疑問に思ったことは何でも教えてもらったと言っても過言ではない。
Mさんは私より12歳年上の青い目の白人男性で熱心な共和党支持者。PGA(Professional Golfers’ Association)のクラスAメンバーであり、大学(University of Nevada )へはゴルフのスカラーシップ(奨学金)をもらって進学した。本人によると、GPAは1.8(!)だったと言っていたので、よほどゴルフがうまかったのであろう(笑)
Mさんの奥さんのKさん(金髪、青い目の白人、UC San Diego卒)はMさんより7歳年下で、Mさんの2番目の妻である。Mさんは最初の奥さんとの間に双子の女の子がいるのだが、その子たちが2歳の頃に離婚している。Kさんは学生時代に日本に留学していたことがあるので、日本語を話すことができ、アメリカにある日本企業で通訳をしていたこともある。ちなみに夫のMさんが話せる日本語は「トイレットはどこですか?」だけである。(トイレではなく、トイレットと言っているところがポイント)
MさんとKさん夫妻には女の子2人と男の子1人の計3人の子供がいるのだが、大変悲しいことに上の2人の女の子は飛行機事故でわずか6歳と3歳という若さで祖父母と共に亡くなっている。事故に遭った小型飛行機を操縦していたのはKさんの母親の再婚相手、すなわち義理の父で、Mさん&Kさん夫妻は一度に両親と子供の4人の命を失うという想像を絶する悲しみと苦しみを経験しているのだ。一番下の男の子のGくんは姉2人がこの世を去った後に誕生した。
私がMさんに出会った時はすでに事故から約10年が経過しており、よくMさんは亡くなった子供たちの思い出話を笑顔で語ってくれたが、笑えるようになるまで一体どれだけの日々を要したことかと思うと胸が痛んだ。奥さんのKさんも普段は明るく振る舞っていたが、亡くなった子供たちの誕生日や命日には涙が溢れてしまうようで、夫であるMさんが妻のKさんを精神的にサポートしている様子が伝わってきた。
偶然、我が家の娘のRが、Mさん&Kさん夫妻の当時3歳で亡くなったKちゃんと同い年だったこともあり、娘のRの成長にKちゃんを重ねていたのであろうか、娘が学校の宿題で政治についてのインタビューをする必要があった時もMさんが快く引き受けてくれたりと、温かい目で我が家の子供たちの成長を見守ってくれた。
ゴルフスクールは当時の我が家から車で5分の距離にあったので、日頃の感謝の気持ちを込めて、時々そこで働くコーチたちにコーヒーを差し入れていた。息子のレッスンや練習がない日でも私だけがふらりと立ち寄って、コーチたちと話をしていたので、今思うと結構迷惑な客だったのではないかと反省するのだが、Mさんを始め、他のコーチたちもいつも温かく迎え入れてくれ、何となく家以外にも自分の居場所を見つけたような気がして嬉しかった。本当に心優しい人たちだった。
Mさんには本当に何でも質問できる感じだったので、会うたびに “I have a question.”と言っていろいろ質問を浴びせたのだが、Mさんも「またか?」という呆れ顔をしながらも、まんざらでもないという感じで私からの質問攻撃を面白がってくれた。
そんなわけで、最初の奥さんと離婚した理由などのプライベート事情から、アメリカで常に論争となる一般市民の銃の保持や中絶についての政治的な話題についてもMさんの考えを知ることができたのだが、これにはいろいろと思うところがあった。
特に一般市民が銃を持っているなどと考えもしない安全な国、日本から来た私にとってはどうしてアメリカが銃規制をもっと強めないのかとずっと不思議だったのだが、Mさんによると自分の身を守るために銃を持つことは当然の権利。実際にMさんの自宅にも2丁の銃があるという。「そんなの恐ろしい。」と言う私に対して、「じゃあ、もしお前が強盗だとして、銃があるとわかっている家と、銃がないとわかっている家のどちらを選ぶんだ?」と私に尋ねる。「それはもちろん銃がないとわかっている家です・・・」と答える私に「そうだろう。だから俺は銃を持つんだ。」と言うMさん。
中絶に関しては、キリスト教徒(プロテスタント)のMさんは、いかなる理由であれ胎児の命を奪うことは許されないと信じている。たとえ妊娠がレイプによってもたらされたとしても、中絶というのは大人が犯した罪を、罪のない胎児になすりつけているのだとして、絶対反対の立場だ。
アメリカで実際に生活することにより、日本では想像もしなかったアメリカ保守層の考え方に触れることがあり、なぜ銃規制が進まないのか、中絶を認めない州が存在するのかを理解できるようになった。
Mさんは2021年2月に遠く離れた別の支店へと異動となり、以前ほど頻繁に会うことはなくなってしまったが、本音ベースで自分の意見を伝えてくれるMさん&ファミリーに出会え、家族ぐるみのお付き合いができたことに心から感謝する。