アメリカで警察のお世話になった話

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運転は苦手。でもやるしかない

アメリカで生活していく上で必須となるのが車の運転。子供の学校への送迎、食料品の買い出し等々、車の運転ができないと日常生活に支障が出る。
日本にいた頃の私は車の運転が大の苦手で、基本的には必要最低限でしか車の運転をしなかったが、アメリカでは甘えたことは言っていられない。まずは国際免許を持って恐る恐る右側通行(日本と逆)で運転しながら、カリフォルニア州の運転免許を取る準備を進めた。

アメリカで一番不機嫌だった朝

筆記試験は日本語で受けることができ、事前に勉強さえしていれば簡単に通る。問題は実技試験である。とにかく運転が苦手だったので、日本にいた頃は初めていく場所はまずは事前に自転車(!)で現地まで行き(どれだけ近場?)、道のりを覚えてから車で向かうという生活をしていた私にとってアメリカで受ける運転実技試験は緊張&恐怖以外の何物でもなかった。おそらくDMVで試験を受ける当日の朝が私がアメリカで一番不機嫌だった日と言ってもあながち誤りではない。

周りからは運転の上手い人ほど実技試験でよく落とされると聞いていた。車線変更の際などにきちんと目視をしていないと試験官に思われることが多いらしい。車線変更の時には大袈裟なぐらいきちんと目視をするようにと夫や友人たちからアドバイスを受けた。

ギリギリで一発合格

DMV(Departments of Motor Vehicles)での試験当日は男性の試験官を助手席に乗せ、まずはカーナビは使わないようにとの指示を受けた。試験官の指示に従い、試験ルートへ。DMVから一般道に出て左に曲がるように指示を受けて曲がった時にやや隣の右車線にはみ出し、後続の車にクラクション(英語ではhonkという)を鳴らされた。その瞬間、「終わった・・・」と思ったが、試験官は平然と次は右折せよと言う。後続車にクラクションを鳴らされてすっかり動揺した私は”Yes"と答えながらウィンカー(blinker)ではなく、フロントガラスのワイパーを始動させた・・・「完全に終わった」と思ったが、まだ試験は続く。試験官に言われるがまま、必死に運転してスタート地点のDMVに戻った。結果は奇跡の合格!やったー!!実技試験では15点までの減点なら合格なのだが、私はまさに減点15点でギリギリの顔面滑り込みセーフであった。

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ギリギリで実技試験合格!

突然車が動かなくなった

奇跡の一発合格を遂げ、その後も無事故無違反で車の運転をしていた2017年11月、事件は起こった。当時運転していた車は2015年に中古で購入した「レクサスIS350」。走行距離は10万マイル(16万キロ)を超えていた。日本では絶対に購入しないような車であるが、レクサスというブランドと、メンテナンスはそれなりにしていたので大丈夫であろうという判断であった。そしてその期待は見事に裏切られ、痛い目に遭うこととなる。

ある日、ミドルスクールへ通う息子を迎えに行く途中、車から異様な匂いがした。何か焦げ臭いような気がするけれど、息子のお迎えに遅れるわけにはいかない。とりあえずそのまま運転し、息子を無事に車に乗せて家路へ急いだ。当時住んでいた家へあと残り数百メートルというところで赤信号になり、ブレーキを踏んだところ同時に全ての車の電気系統がご臨終となった。一瞬何が起こったのかよくわからなかったが、エンジンはかからず、ハザードランプも点滅しない。青信号に変わっても車を動かすことができないので、車を降りて後続の車に事情を説明した。ものすごく迷惑な状態のまま一般道に停まる私の車。後から来る車に「危ないからハザードをつけろ!」と言われ、「ハザードもつかないの!」と言うと、「だったら車のドアを全部開けておけ。そうすれば故障車だとわかるから」と言われた。

なるほどと思い、車の扉を全部開け、ややパニックになりながらどうすべきか考えていると、自転車で通りがかった男性が「車を押して、迷惑にならない場所に移動させてあげるよ」と声をかけてくれた。ありがたい申し出だったが、完全に電気系統がやられてしまっている関係でハンドルも左右に切れない状態。どうしたものかと思っているうちに、誰かが通報したのか警察がやって来た。2人の男性警官が状況を見て、「まずは邪魔にならない場所に車を移動させよう」と言い、ハンドルを動かす方法を教えてくれた。それまで知らなかったのだが、実は電池で動いている車のキーも非常用の鍵が内蔵されており、その鍵を引き出して車の鍵穴に差し込むことで車のハンドルは動かせるのであった。

警官に言われるがまま、私はハンドルを操作し、2人の警官が車を押してくれて、邪魔にならない場所まで車を移動した。「あとは大丈夫か?」と聞かれ、「夫に連絡して AAA(トリプルA)の手配をするつもり」と伝えると、「OK、じゃあ大丈夫だな!」と言って去っていった。この事件をきっかけに二度と古い車を買うのはやめようと固く決心した私であった。

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レッカー車に運ばれていった私の車

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