到着の翌日に補習校事務局へ
私が日本で引っ越し準備に追われている間、夫は仕事をしながら子供たちの日本語補習校入学の手配を整えていてくれた。6月、7月の間は現地校は夏休み期間だが、日本語補習校は6月中旬から2週間にわたって「夏季集中授業」が行われる。まだ誰ひとりとして現地に知り合いのいない子供たちが日本人のお友達を作る良い機会だと思った。スケジュール的に夏季集中授業を受けるには私たちがサンフランシスコに到着した翌日の6月11日までに入学手続きを済ませる必要があったため、時差ぼけでぼーっとしたまま、同じくぼーっとしたままの子供たちを連れてサンフランシスコ市内にある補習校の事務局に足を運び、無事入学の許可をいただいた。
サンフランシスコの匂い
その際、夫の運転でサンフランシスコ市内まで行き、観光がてら市内を散策したのだが、その時息子が放った忘れられない一言がある。「サンフランシスコ、くせえっ!」確かに所により臭いのである。尿臭、マリファナの臭い、日本の都会ではあまり気になることのない臭いがした。これがサンフランシスコ。高層ビルが立ち並び、東京と同じように見えるけれどもホームレスの数、そして街の匂いは全然違う。ホームレスがしっかりと自己主張をすることにも驚いた。この話はまた別の機会に書こうと思う。
無事に入学手続きが済み、夫の案内で日本食を提供しているレストランへ家族で向かった。このレストランは残念ながらコロナにより現在は閉店してしまったが、アメリカに来て最初に家族で出かけた思い出のレストランである。
スクールバス利用
2015年6月16日から2週間、予定どおり子供たちは日本語補習校へと通った。私たちの住まいがあるフォスターシティーからサンフランシスコ日本語補習校へは車で30分ほどの距離だが、幸いフォスターシティーからはスクールバスが出ていた。このスクールバスはバス利用者の保護者のボランティア運営によって成り立っているため、入会と同時に利用料金支払いの他、持ち回りで保護者がスクールバスの添乗をし、子供たちの世話をしていた。
補習校にすぐに通わせたことは正解だったと思う。労せずフォスターシティー内に日本人のお友達を見つけることができ、大変お世話になった。娘は補習校の中学部卒業まで、息子は中学2年生まで通った。(息子が中学2年生の2020年3月にコロナでカリフォルニアはロックダウンとなり、補習校もオンライン授業となったため、日本人のお友達に直接会えないのでは補習校に通う意味があまりない気がして、やめる決断をした)コロナがなければ息子も中学卒業まで通学したと思うが、結果的にやめてよかったと思う。なぜならば現地校も月〜金までオンライン授業なのに加えて、土曜日の朝から一日中パソコンの前で補習校のオンライン授業も受けるのは子供にとって負担が多過ぎたと思う。週末ぐらい、補習校の宿題の心配はせず、ゆっくりさせてあげたかった。