教科ごとに生徒がクラスを移動
小学生のうちは教室の前まで親が一緒に送り届けることができるが、中学生になると校門から先は子供だけで教室まで向かう。日本の中学校だと「1年A組」などと1年を通して所属するクラスがあり、基本的に各教科の先生が受け持ちの時間にそのクラスに来て授業を行うため、生徒は1日を同じ教室で過ごすこととなるが、こちらでは違う。子供たちは自分の時間割に応じて、各教科の先生の教室に移動し、そこで授業を受ける。すなわち日本の大学の授業のような感じである。よって、子供たちは自分が向かうべき教室の位置を覚え、短い移動時間に次の教室に移動することが求められる。教室の位置については新学期に配られるプラナー(Planner)と呼ばれる1年間のスケジュール帳のようなものに記載されているので、最初はそれを見ながら移動することになる。
日本人のお友達
日本の中学校で1年間英語を習っただけに過ぎない娘が、きちんと行くべき教室に迷わずにたどり着けるか心配だったが、そこは同じ中学校に通う日本人のお友達が助けてくれたお蔭で、特に問題なく1日を終えることができたようだった。当時娘に大変親切にしてくれた日本人のお友達は、1年後にはご両親の仕事の事情で日本に帰国したり、別の国へ引っ越してしまった。どんなにその国が気に入っていても、期間限定でしか住めない駐在員の宿命のようなものを感じた。
アメリカ人のお友達が遊びに来た!
娘の時間割は1,2時間目にESL(English as Second Language:英語が母国語でない生徒向け)のクラスで英語の授業を受け、3〜7時間目までは現地の子たちと一緒の授業を受ける。1,2時間目はともかく、それ以外は先生やお友達が何を言っているのかさっぱりわからないであろうと心配したが、積極的な性格の娘はつたない英語ながらも自ら現地のクラスメートに話しかけ、何とか交流を図っている様子であった。事実、学校が始まって間もない頃にLちゃんというアメリカ人のお友達が放課後に我が家に遊びに来てくれ、娘と一緒に宿題をしてくれた。そして後日、そのLちゃんが自分が住むアパートの共有施設であるプールに娘を招いてくれ、一緒に遊んでピザまでご馳走になって帰ってきた。
娘、号泣事件
中学生ともなると授業内容も難しくなるが、何とかやっている様子だったので安心していたところ、学校が始まって半年ぐらい経った頃のある日、いつもどおり下校時間に娘を迎えに行くと、待ち合わせ場所の駐車場で号泣している娘がいた。何があったのか、いつから泣いていたのかわからぬまま、とりあえず娘を車に乗せ、家に戻り事情を聞いたところ、後期の選択科目として娘が選んだComputer Scienceの授業で、先生が答案返却の際、娘に「ここはこうした方がよい」的なアドバイスをくれたらしいのだが、娘には娘の言い分があり、こういうつもりで書いたと言いたかったけれど、英語でどう言えば良いのかわからず悔しくて涙が出てきたとのこと。Computer Scienceの授業はまだ始まって2回目ぐらいだったので、おそらく先生は娘がESLの生徒とはわからずに話しかけていた可能性が高い。いきなり泣かれて先生もさぞかし困惑したことであろう。ちなみにComputer Scienceの授業は6時間目で、続く7時間目のSocial Studiesの時間もずっと泣いていたらしい。。。7時間目の先生にもご心配をおかけしたことと思う。
このままではまずいと、その晩にComputer Scienceの先生に私から「娘が日本からこちらに来てまだ半年であること、英語力不足で言いたいことを言えないもどかしさから涙が出てきてしまったらしいこと、今後もうまく英語で自分の意見を伝えられないことも多いと思うが、家庭でも精一杯のサポートをしていくので気に留めていただけるとありがたい」という旨のEメールを送った。先生から特に返信はなかったが、その後娘を通して先生が事情を理解してくださった様子は伝わってきた。
1年でESL脱出
娘は1年間英語を必死に勉強して、高校入学時には「CELDTの結果からこれ以上ESLの授業を受ける必要はない」との通知を受けるまでに英語力を伸ばした。これはまさに娘の努力の賜物だと思う。本当によく頑張った。