シリコンバレーへの転勤

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転勤当時の子供の年齢

夫の転勤でアメリカ、カリフォルニア州にやってきたのは2015年6月。住まいはサンフランシスコ空港から車で南に15分程度の場所。当時、娘は13歳、息子は9歳であった。通学する学校は8月から新学期が始まる。娘は*ミドルスクールの8年生(日本の中学3年生に相当)、息子は*エレメンタリースクール4年生(日本の小学4年生に相当)として現地校に通うことになった。

*アメリカの学校制度は場所によって異なるが、私たち一家が暮らす地域は小学校5年間、中学校3年間、高校4年間となっている

転勤を知り、子供が泣いた

転勤が決まったことを夫が子供に告げた際、まずは2人とも泣いた。日本のお友達との別れ、新天地での生活への不安などさまざまな思いが交錯したのであろう。娘は比較的気分の切り替えが早く、数日後にはアメリカに行くことを楽しみにしている様子だったが、息子はとにかく嫌がった。泣きながら、「パパだけアメリカに行って、ときどき電話をしてくれればそれでいい」と言い、夫を困らせた。ある日、困り果てた夫が「アメリカに一緒に行ってくれたら、****を買ってやる」と当時息子が欲しがっていた商品を口にしたところ、あっさりアメリカに一緒に行くことに同意し、めでたく問題解決の運びとなった。

私はただただ嬉しかった・・・

日本を離れ、アメリカで生活することになる子供たちの反応を心配しつつも、私自身は初めてのアメリカ駐在生活に心を躍らせていた。というのも私は英語を学び始めた中学時代から英語圏に暮らすことを夢見ていたからである。高校時代には1ヶ月カナダ、バンクーバーでホームステイを経験し、大学では英米文学を専攻した(これはのちに失敗したなーと悔やむのであるが、受験当時は英語が得意と思い込んでいたので、とにかく英語の配点が高い学部を中心に受けていた)
時間とお金の許す範囲で海外旅行は幾度となくしていたが、長期に英語圏に住むとなるとハードルは高い。英語は好きだけれど、海外で経済的に自立できるほどの自信も、何とかして実現させようとする根性もなく、とある日本企業の国際事業部で主にFax(!)で英語のやりとりをする毎日に5年間なんとなく満足し、退職後は主婦として2人の子供たちの子育てに悪戦苦闘しながら細々とNHKのラジオ講座などで英語を勉強する日々を送っていた。
そんな折に夫のサンフランシスコ転勤辞令。「嬉しい!」の一言に尽きた。

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