【シリコンバレー奮闘記】普通のサラリーマンがシリコンバレーに駐在して、独力でグリーンカードを取って、独立するまでのことを書き始めます
アメリカ、カリフォルニア・シリコンバレーに来てもうすぐ7年になります。日本の大手企業に25年間勤めてアメリカで独立。普通のサラリーマンが初めての海外・シリコンバレーの駐在生活で奮闘した記録を少しずつ残していこうと思います。
1. 海外への想い
シリコンバレーに行きたいと思ったのは2011年ごろ。仕事の関係でシリコンバレーに出張できました。そこでは、日本の商社の方に色々と案内をしてもらいながら、シリコンバレーのスタートアップと仕事をするのですが、会う人会う人、訪問する街々が新鮮で、「いつかここで仕事がしたい」という思いが沸々と湧き上がってきました。カリフォルニアの青空と明るい人柄に一瞬で魅了されましたね。
2. 全てが美しく、楽しい
シリコンバレーといえばサンノゼということでホテルを取りましたが、サンフランシスコからサンノゼまでは東京駅から成田空港ぐらいの距離があるエリアを示し、サンノゼには会いたいスタートアップは全然いなかったんですね。まずはそんなレベルからスタートです。
スタートアップとはシリコンバレーの真ん中あたりにあるPalo Altoという街で面会。街が綺麗でキラキラしていたことを思い出します。7年近くたった今でも綺麗な街だなと思うのですから、本当に良い街なんでしょう。「無性にワクワク」しましたね。
3. なぜワクワクするのか
おそらく人の素晴らしさでしょう。シリコンバレーという街には世界中からいろんな人が集まります。特にスタートアップの起業家たちは野望に溢れて活き活きと暮らしているため、話をしていても楽しいものです。こちらのエネルギーレベルが一段階上がります。
「エネルギーレベル」というのは、日本という土地を離れてみると感じることが多々あります。ただ単に生きているだけですが、毎日を楽しく過ごしていくことが、エネルギーレベルを高めていくのでしょう。シリコンバレーには、街全体にそんなエネルギーが溢れます。
終わりに
日本では2022年がスタートしました。少しずつ書き出していきますね。